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東京地方裁判所 平成9年(ワ)15109号 判決

原告 西村協子

原告 阿部妙子

原告 善財順子

右三名訴訟代理人弁護士 松林詔八

被告 中野博保

主文

一  被告は、原告らそれぞれに対し、各金五〇万円及びこれに対する平成八年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告ら各自に対し、金八九二万四〇五九円及びこれに対する平成八年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被相続人である父母両名の遺産分割手続を弁護士(被告)に委任した相続人ら(原告ら)が、右委任の際に遺留分減殺請求権の行使をも委任したにもかかわらず、被告がこれを怠ったため、遺留分減殺請求権が時効により消滅し、遺留分減殺請求権を行使すれば得られたはずの遺留分と現実の遺産分割審判で認められた相続分との差額を得られなかったため財産的損害を被り、また、法律専門家である被告を信頼して依頼したにもかかわらず、遺留分減殺請求権が時効により消滅し、適切な弁護活動を得られなかったため精神的損害を被ったとして、委任契約の債務不履行又は不法行為に基づき、その損害の賠償を請求した事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  原告らの父である今井晴夫(明治四三年二月一五日生)(以下「晴夫」という。)は昭和六三年六月二二日に死亡した。晴夫の相続人は、配偶者の今井英子(明治四四年六月一八日生)(以下「英子」という。)並びに子である原告ら三名、今井幹子(以下「幹子」という。)、今井正康(以下「正康」という。)及び五味和子(以下「五味」という。)の七名である。

原告らの母である英子は、平成元年六月二日に死亡した。英子の相続人は、原告ら、幹子、正康及び五味の六名の子らである。

西村志朗(以下「志朗」という。)は、原告西村協子(以下「原告協子」という。)の夫である。

2  被告は、東京弁護士会所属の弁護士であり、原告らから晴夫及び英子の遺産分割手続の委任を受けた。

3  被告は、原告らの代理人として、平成元年七月一八日、東京家庭裁判所八王子支部において、幹子、正康、五味を相手方とし、被相続人晴夫の遺産は、<1>有限会社深雪荘(以下「深雪荘」という。)(資本金五〇万円、出資一口の金額一〇〇〇円)の持分五〇〇口、<2>群馬県吾妻郡嬬恋村所在の別荘の土地建物(以下「別荘土地建物」という。)であるとして、遺産分割調停の申立てをした(同裁判所平成元年(家イ)第一〇六八号事件、以下「晴夫分割事件」という。)。

これに対し、幹子は、同年一二月一二日、晴夫の深雪荘の持分は三〇〇口であり、その持分すべてを昭和四七年七月一八日に晴夫から譲渡された旨主張し、それを示す社員総会議事録を提出した(以下「本件持分譲渡」という。)。

4  被告は、原告らの代理人として、平成二年三月二六日、同裁判所において、幹子、正康、五味を相手方とし、被相続人英子の遺産は、<1>深雪荘の持分一九〇口、<2>別荘土地建物の二分の一(晴夫の遺産の配偶者相続分)であるとして遺産分割調停の申立てをした(同裁判所平成二年(家イ)第四三九号事件、以下「英子分割事件」という。)。なお、<1>の主張は、深雪荘の晴夫の持分が三〇〇口であり、これは幹子に譲渡されたものである旨の同人の主張を前提とし、英子固有の持分の存在を主張したものである。

5  晴夫分割事件及び英子分割事件は、平成三年九月三日、調停不成立となり、審判に移行した(平成三年(家)第二〇二四号、第二〇二五号各遺産分割事件)。

6  被告は、原告らの代理人として、幹子に対し、平成六年一〇月三日の右両事件の第九回審判期日において、本件持分譲渡につき、遺留分減殺の意思表示をした。

7  東京家庭裁判所八王子支部は、平成八年一月一九日、右両事件等について審判をした。右審判では、次のとおり、晴夫及び英子の各相続人の相続分は合計金一一一七万六九一八円であるとの判断がなされた。

すなわち、<1>晴夫分割事件について、その遺産は別荘土地建物(平成五年一二月一九日時点の評価額金八八四万円)であるから、各相続人の相続分(英子相続分を含む)は各金一四七万三三三三円である、<2>英子分割事件について、その遺産は深雪荘(右同日時点の評価額金一億九七八〇万円、負債控除後は金一億五三二一万四六三九円。)の持分一九〇口(右同日時点の評価額金五八二二万一五一〇円)であるから、各相続人の相続分は各金九七〇万三五八五円であるとされた。

なお、右6の遺留分減殺請求については、時効期間を徒過しているとして、審判で認められなかった。

二  争点

1  被告の債務不履行ないし不法行為について

被告は、原告らから、晴夫及び英子の遺産分割手続の処理の委任を受けた際に、本件持分譲渡について遺留分減殺請求するように委任を受けたか否か。また、仮に、右委任を受けなかったとしても、遺産分割手続の処理を受任した以上当然遺留分減殺請求権を行使すべきであったか否か。

(原告らの主張)

原告らは、平成元年六月一九日、幹子に対し、本件持分譲渡について、深雪荘の持分三〇〇口を相続財産とすること、相続財産にできないならば遺留分減殺請求する旨の内容証明郵便を発送したところ、幹子から受領を拒絶され、さらに、志朗、原告阿部妙子(以下「原告阿部」という。)及びその夫が、幹子のもとへ右内容証明郵便を持参したが、やはり受領を拒絶された。そこで、志朗、原告阿部、その夫及び原告善財順子(以下「原告善財」という。)の四名は、同月末ころ、被告の事務所を訪れ、被告に対し右内容証明郵便等を示しつつ、晴夫及び英子の遺産の内容、本件持分譲渡の件、幹子から右内容証明郵便を受領拒絶されるに至った経緯などを説明し、その上で、晴夫と英子の遺産分割手続及び遺留分減殺請求通知の手続を依頼し、被告は右依頼を引き受けた。

また、弁護士は、遺産分割事件を受任した場合、遺産の範囲を確定する必要があるから、それに伴い、遺留分侵害の事実の存否に疑問がある場合でも、時効により消滅するのを防止するため、当然遺留分減殺の通知を出すべきである。にもかかわらず、被告は、幹子に対し、直ちに遺留分減殺請求の通知を行わず、平成六年一〇月三日に至るまで遺留分減殺請求権の行使を怠り、時効消滅を招いたのであるから、かかる行為は、原告らに対する受任義務の不履行ないし不法行為に該当するものである。

(被告の主張)

被告は、原告らから、平成元年六月末ころ、晴夫の遺産分割手続の委任を受け、次いで平成二年三月中旬ころ、英子の遺産分割手続の委任を受けたが、遺留分減殺請求権の行使については委任を受けておらず、その後も遺留分減殺請求権を行使するように要求されなかった。

また、弁護士は、遺留分減殺請求すべき事案の場合、地方裁判所に遺留分減殺請求訴訟を提起すべきで、遺産分割調停の申立てはできないものであるところ、被告は、原告らから説明を受けた限りでは、本件持分譲渡が原告らを害する意思のもとになされたとの立証は到底不可能であり、遺留分減殺請求訴訟を提起したとしても勝訴できないと判断していたのである。

2  原告らの損害について

(一) 遺留分減殺請求権を行使すれば原告らの遺留分が認められ、これと審判で現実に認められた相続分との差額につき損害が発生したといえるか。すなわち、本件持分譲渡について晴夫の害意が審判で認められる状況であったか。

(二) 原告らは、被告の義務違反行為により適切な弁護活動を得られず、精神的損害を被ったか否か。

(原告らの主張)

(1) 本件持分譲渡の時点において晴夫は六〇歳を過ぎていたこと、右持分は晴夫の資産の大部分であったこと、晴夫は将来的に資産を増加させることを期待できず、現実にも死亡するまでの間に資産の増加はなかったことから、本件持分譲渡は「遺留分権利者に損害を加えることを知って」なされたものである。

そして、晴夫分割事件において遺留分の減殺が認められた場合は、晴夫の遺留分の算定の基礎となる総遺産は深雪荘の持分三〇〇口(平成五年一二月一九日時点の評価額金九一九二万八七〇〇円)及び別荘土地建物(同金八八四万円)であるから、原告らの遺留分は各金四一九万八六九六円である。英子分割事件において遺留分の減殺が認められた場合は、英子の総遺産は同人固有の資産である深雪荘の持分一九〇口に加えて、晴夫の配偶者としての遺留分(その原告ら各自の取得分は前記と同じ金四一九万八六九六円)であるから、原告らの取得額は各金一三九〇万二二八一円(5822万1510÷6+419万8696)である。したがって、遺留分の減殺が認められた場合、原告らの取得額は右の合計各金一八一〇万〇九七七円であるから、これと審判で認められた金員との差額の金六九二万四〇五九円が原告らの各損害となる。

(2) また、原告らは、法律専門家である被告を信頼して委任したにもかかわらず、適切な弁護活動を得られなかったことにより精神的苦痛を被り、少なくとも各金二〇○万円の損害を被ったものである。

なお、本件持分譲渡がされた事情として、晴夫は、昭和四六年ころ、知人の田島某にだまされたことにより、同人の保証人としての責任を第三者から追及されていたという事実があった。これは、証拠上も明らかであり、被告は右事情につき原告らから説明を受けていたので、被告としては、晴夫分割事件において、本件持分譲渡について虚偽表示による無効の主張もすべきであったといえ、このことは慰謝料算定の事情として考慮すべきものである。

(被告の主張)

本件持分譲渡は、晴夫が死亡する約一六年前に行われ、財産が増加しないことの予見がないこと、債権者からの追及を免れるために行われたものであるとすると、「遺留分権利者に損害を加えることを知って」なされたとはいえず、仮に遺留分減殺請求をしたとしても、遺留分減殺請求は認められなかったものである。

なお、原告らは、英子の遺留分についても損害に加えて請求をしているが、同人は、遅くとも昭和五五年三月六日には、本件持分譲渡の事実を知っており、同人の遺留分減殺請求は、平成元年七月には時効にかかっていたものである。また、原告協子についても、昭和四七年ころ、本件持分譲渡の事実を認識しており、時効の起算点は晴夫が死亡した昭和六三年六月二二日と解すべきである。

第三争点に対する判断

一1  前記争いのない事実、証拠(甲一、二の1、五ないし一〇、一一の1、2、一二、一六ないし一八、乙一、三、四、七ないし一〇、一一の15、三〇の1、2、三二ないし三四、三六ないし三九、四二、四四ないし五〇、五二、五三、五四の2、3、五五ないし五七、原告本人阿部、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 晴夫は、昭和三二年一一月、不動産貸付及び旅館料理店の経営を目的として深雪荘を設立し(資本金五〇万円、出資一口の金額一〇〇〇円)、代表取締役として、長野県諏訪市に本店を置いて旅館業を経営していたが、昭和四三年一一月に東京都三鷹市に土地を購入し、昭和四五年、同市に深雪荘の本店を移転して共同住宅を建築し、事業を営んでいた。

翌昭和四六年八月、晴夫は、別荘土地建物を購入した。

深雪荘では、昭和四七年七月一八日、社員総会が開催され、英子が取締役として出席し、晴夫の持分三〇〇口を幹子に譲渡する旨の決議がなされた(本件持分譲渡)。そして、昭和四八年一月当時の深雪荘の社員名簿及び昭和五四年の持分差押命令事件に関する英子の上申書(昭和五五年二月五日付)によれば、深雪荘の持分につき、英子は一九〇口、幹子は三〇〇口、宮澤正志は一〇口であった。

深雪荘の役員は昭和四九年一二月に交代し、晴夫が取締役を辞任し、英子が代表取締役に就任したものの、依然として晴夫が深雪荘の経営を行っていた。また、晴夫は、昭和五七年には、銀行から借り入れをして深雪荘所有の三鷹市の不動産に極度額金二五〇〇万円の根抵当権を設定するなどの経済活動を行っていた。

(二) 晴夫は、昭和六三年六月二二日に死亡し、英子は、平成元年六月二日に死亡した。

(三) 同月四日、英子の葬儀がとり行われた後、晴夫ら夫婦の相続人である原告ら、幹子、正康及び和子の兄弟姉妹全員で、相続問題等につき話し合い、長男正康が法事等を行うこと、幹子が深雪荘の代表取締役に就任することを決めた。その際、深雪荘の持分及び別荘土地建物の遺産分割についても話し合いがされ、原告らは、深雪荘の持分五〇〇口のうち三〇〇口が幹子の名義であることを初めて知った。

志朗は、右の話し合いに同席していたので、翌五日、深雪荘の持分及び別荘土地建物の分割方法について協議書にまとめ、原告協子と原告阿部とが右協議書に署名押印した上、幹子のもとへ持参したが、そのままの状態で戻された。さらに、正康が、同月一〇日付で、原告らに対し「兄弟会議開催についてのお願い」と題する書面を送り、幹子名義の持分三〇〇口を含めて遺産分割について話し合いをしたい旨の申出をしてきたが、結局、兄弟会議は開催されなかった。

(四) 原告ら及び志朗は、同月一九日、相続問題の処置について話し合い、幹子に対し、深雪荘の持分三〇〇口を相続財産とすること、それができないならば遺留分減殺を請求する旨の内容証明郵便を発送した。右内容証明郵便は、翌二〇日配達の際不在であったため郵便局に留置された。原告阿部は、右郵便の発送後、幹子に対し、内容証明郵便を発送したことを電話で知らせ、さらに同月二一日、幹子のもとを訪れ、これを受領するように依頼したが、幹子は、これを拒絶したため、その具体的内容を理解しなかった。

そこで、同月二三日、原告阿部、その夫、史朗及び原告善財は、幹子が内容証明郵便の受領を拒絶した場合に遺留分減殺請求権が時効により消滅することをおそれて、知人から紹介を受けた被告の事務所を訪れた。そして、原告阿部が中心となって、被告に対し、前記協議書、「兄弟会議開催についてのお願い」と題する書面、右内容証明郵便の控え等を示しながら、晴夫及び英子の遺産は深雪荘の持分と別荘土地建物であること、幹子に内容証明郵便を発送するに至った経緯、幹子に内容証明郵便の受領を拒絶されたことなどについて説明した上で、これらの書面を預け、晴夫及び英子の遺産分割手続と遺留分減殺請求通知の手続を依頼し、被告は、原告らの依頼を引き受けた。原告阿部及び原告善財は直ちに、原告協子は後日送付して、「遺産分割調停申立に関する一切の件」を委任事項とした委任状に署名押印して委任状を作成した。

その後、被告は、原告らに対し、遺産の内容に関し、三〇〇口の持分が晴夫の生前に幹子に譲渡されていたか否か、本件持分譲渡が原告らの遺留分を侵害するものであるか否か、譲渡当事者に害意があったか否か、原告らが本件持分譲渡をいつの時点で知ったのかなどの諸点を具体的に確認したり、これらの点を明確にするための資料を集めて持参してくるように指示しなかった。そして、幹子に対する右内容証明郵便は、同年七月三日をもって一〇日間の留置期間の経過により、原告阿部のもとへ返還され、被告はそれを受領した。被告は、幹子に対し右内容証明郵便を再送達するなどの措置を採らなかった。

なお、被告は、同月八日、晴夫分割事件及び英子分割事件の着手金として金五〇万円を受領した。

(五) 被告は、原告らの代理人として、同月一八日、晴夫の遺産につき、深雪荘の資本金と出資一口の金額を考慮し、深雪荘の持分五〇〇口及び別荘土地建物であるとして遺産分割調停の申立てをした。これに対し、幹子は、同年一二月一二日、本件持分譲渡について記載のある社員総会議事録を提出した。これを受け、被告は、原告らと遺産分割手続の進行について協議したところ、原告らの名義で「有限会社深雪荘の議事録については、適正な事実に基づいて行われたものでないとしても、現時点に於て反証する資料に欠け、又時効の点から言って難しいとのことでありましたので、今井幹子の持分三〇〇口については一応棚上げさせていただきます。」と記載のある手紙(平成二年二月三日付、乙一)を受け取った。

被告は、同月二〇日ころ、原告らから「今井英子に関する遺産分割調停申立の件」を委任事項とする委任状を受領し、原告らの代理人として、同年三月二六日、英子の遺産につき、深雪荘の持分一九〇口及び別荘土地建物の二分の一であるとして遺産分割調停の申立てをした。

晴夫分割事件及び英子分割事件は、平成三年九月三日、審判に移行し、被告は、平成六年一〇月三日、第九回審判期日において初めて、本件持分譲渡について原告らを代理して遺留分減殺の意思表示をした。

平成八年一月一九日、晴夫分割事件及び英子分割事件の審判がなされ、右審判は、そのころ確定した。その内容は、相続人各自の相続分について、晴夫分割事件では遺産が別荘土地建物のみであるため、各金一四七万三三三三円(英子相続分を含む)であり、英子分割事件では遺産が深雪荘の持分一九〇口のみであるため、各金九七〇万三五八五円であり、合計各金一一一七万六九一八円であるとするものであり、遺留分減殺請求は右行使の時点で時効により消滅しているとして、認められなかった。

(六) 被告は、幹子の代理人弁護士から、右審判に基づき、同年四月に金二四七七万九九二八円、同年五月に金五六万〇八二九円を受領し、同年六月二一日、右金員から晴夫分割事件及び英子分割事件の弁護士報酬として金二七一万一五三八円(一人あたり金九〇万三八四六円)を取得して、残金二二六二万九二一九円を本件訴訟の原告ら代理人弁護士の銀行口座に振り込み送金した。

2  被告は、平成元年六月当時、原告らから晴夫の遺産分割についてのみ委任を受け、遺留分減殺請求については委任を受けておらず、また、平成二年以後に英子の遺産分割について委任を受けた旨主張し、本人尋問においてもその旨供述する。しかし、前1掲記の証拠及び右1に認定の事実によれば、原告らは、晴夫及び英子の死亡後、幹子に対し、遺留分減殺請求について言及した内容証明郵便を送ったものの、受領を拒絶されたため、遺留分減殺請求権が時効により消滅することを危惧して、内容証明郵便等を持参の上、直ちに被告の事務所を訪れたのであるから、遺留分減殺請求するように被告に依頼しなかったとは到底考え難いこと、晴夫及び英子の死亡後に被告の事務所を訪れたにもかかわらず、英子の遺産の処理を依頼せず、晴夫の遺産の処理のみを被告に依頼したとするのも不自然であることからして、右被告の主張、供述は、にわかに採用できない。

また、原告らは、英子は昭和四七年の深雪荘の社員総会に出席しておらず、昭和五五年の上申書(甲二の1、乙五四の2)は晴夫が作成したものであるから、英子は本件持分譲渡の事実について知らなかった旨主張し、これに沿う証拠(甲一八、原告阿部本人)もあるが、前1掲記の証拠及び右1に認定の事実によれば、昭和四七年の深雪荘の社員総会議事録(乙四)には英子が出席した旨の記載があること、英子は昭和四九年に深雪荘の代表取締役に就任していること、昭和五五年の上申書の作成名義人は英子であり、これが晴夫の筆跡によるものであると認定するに足りる証拠はないことからすると、採用できないというべきである。

二  争点1(被告の債務不履行ないし不法行為)について

1  一般に、民事事件において訴訟等の裁判上の手続を受任した弁護士は、委任の趣旨に従い、法律実務の専門家として善良な管理者の注意をもって依頼者の権利及び正当な利益を擁護し、そのために必要な訴訟活動をすべき委任契約上の義務を負う(善管注意義務、民法六四四条、弁護士倫理一九条参照)のみならず、右委任契約に基づき、受任した事件の処理及びこれに密接に関連する事項について、誠実にその職務を行い、依頼者のために適正妥当な法的措置を探求し、その実現を期すべき法的義務を依頼者に対して負っているというべきである(誠実義務、弁護士法一条二項、弁護士倫理四条参照)。

すなわち、弁護士は、依頼者から事件の依頼に受けるに当たり、依頼者から情報を適切に引き出し、その意図するところを的確に理解するとともに、一応の資料の裏付けをもって事実を認識すべきであるから、依頼者の持参した資料を検討するとともに、不足の資料は依頼者に収集を指示して事実調査に努め、その事実を法律的観点から吟味、検討し、その上で依頼者の利益となり、その意向が反映されるような措置を講じ、依頼者の裁判を受ける機会、期待を確保すべきである。

これを本件についてみると、被告は原告らから平成元年六月二三日には、遺留分減殺請求権を行使するようにという具体的な委任を受けていたのであり、しかも、遺留分減殺請求権には一年の短期消滅時効が規定されているのであるから、被告は、原告らの持参した資料を速やかに精査し、資料が不足する場合には原告らにさらに資料を持参するよう指示して、事実を調査した上で、依頼者の委任の意図を尊重すべく、時効期間内に遺留分減殺請求の意思表示をすべきであったにもかかわらず、平成六年に至るまで右対応をとらず、期間徒過により原告らの遺留分減殺請求権を時効により消滅させたものである。このような被告の行為は、弁護士としてなすべき委任契約上の義務に違反し、債務不履行に当たるというべきである。

2  被告は、時効期間内に遺留分減殺請求権を行使しなかった理由として、遺留分減殺請求が認められる要件である「害する意思」(民法一〇三〇条)を立証できず、認められる見込みはなかったこと、また、原告らから本件持分譲渡につき棚上げにしてくれるようにという手紙(乙一)を受け取ったことを不行使の正当事由として主張する。

なるほど、弁護士は、受任事務の性質上、その処理に当たっては専門的な法律知識と経験とに基づき、具体的状況に応じた適宜の判断を下す必要があるから、その事務処理は相当の範囲において弁護士の裁量に委ねられているというべきである。しかしながら、本件の遺留分減殺請求権のように時効期間内に行使しなければ時効消滅し、裁判を受ける機会を永久に逸してしまう場合には、依頼者は遺留分減殺請求が認められるかどうかについて裁判を受ける権利を有し、その裁判の結果を検討する機会を確保されるべきであるから、たとえ弁護士としての専門的見地からは、遺留分減殺請求権を行使してもこれが認められる可能性が相当低いと判断される場合であっても、依頼者がこれを行使する意向を表明している以上、弁護士は依頼者の意向、指示を尊重して、遺留分減殺請求の手続を行うべきである。また、右手紙は、その記載内容(「適正な事実に基づいて行われたものでないとしても」)からすると、本件持分譲渡が通謀虚偽表示であることの主張はしなくてよいという趣旨はともかく、遺留分減殺請求をしなくてよいという趣旨には解されないばかりでなく、一旦は原告らは遺留分減殺請求を委任したのであるから、被告としては、特段の法律的知識を有しない原告らに対し、遺留分減殺請求権を時効期間内に行使しなければ消滅時効にかかり、裁判所の判断を受ける機会を喪失するという不利益を受けることを説明し、理解、納得させた上で、遺留分減殺請求しないという行動に出るべきであったところ、被告が原告らに対しそのように説明し、理解、納得させたと認めるに足りる証拠もない。したがって、いずれにしても被告が遺留分減殺請求の手続を怠ったことを正当化することはできない。

また、被告は、遺産分割手続は家庭裁判所の管轄であり、遺留分減殺請求訴訟は地方裁判所の管轄であることを理由に、両方の受任はできない旨主張するが、遺留分減殺請求権の行使は、相手方に対する意思表示によって行えば足り、必ずしも訴えの方法による必要はないのであるから、内容証明郵便でその意思表示の到達を図るなどの方法により行使し、遺留分減殺請求権を時効消滅させないように措置を講じることは容易に可能であるから、被告の右主張は理由がない。

3  もっとも、前認定のとおり、英子は晴夫の死亡前から本件持分譲渡の事実を知っていたのであるから、英子の晴夫の配偶者としての遺留分減殺請求権は、晴夫死亡の一年後である平成元年六月二二日をもって時効により消滅したので、原告らが被告に委任した翌二三日の時点では時効により消滅していたものと認められる。そうすると、英子の承継人としての遺留分減殺請求権の行使に関しては、英子の晴夫の配偶者としての遺留分減殺請求権は、右のとおり被告の受任当時すでに時効により消滅していたので、被告は、弁護士として原告らのために遺留分減殺請求権の時効消滅を防止するための措置を講じることはもはや不可能であるから、この点については委任契約上の義務に違反しておらず、債務不履行には当たらないというべきである。

三  争点2(原告らの損害)について

1  争点2(一)について

前記認定事実によれば、昭和四七年に本件持分譲渡が行われ、昭和六三年に晴夫の相続が開始したものであるから、本件は相続開始前の一年間に贈与が行われた場合に該当せず、当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知って贈与をしたときに遺留分減殺請求権を行使できることになるところ(民法一〇三〇条)、遺留分権利者に損害を加えることを知って贈与をしたときとは、遺留分権利者に損害を加える事実関係を知ること、すなわち、当事者双方において贈与財産の価額が残存財産の価額を超えることを知っているのみならず、将来被相続人の財産に増加のないことを予見して贈与をしたときであると解すべきである。

これを本件についてみると、前認定のとおり、晴夫は、昭和四五年に深雪荘の本店を移転し、昭和四六年には別荘土地建物を購入するなど本件持分譲渡のころになお深雪荘の事業を新たに展開させたり、個人の不動産資産を増加させている上、昭和四九年に深雪荘の取締役を辞任したものの、その後も依然として深雪荘の経営に当たっており、本件持分譲渡の時点から晴夫の相続開始まで約一五年という長い期間が経過していることからすると、本件持分譲渡の時点で晴夫が六四歳という高齢であったことを考慮してもなお、右時点で、晴夫と幹子が将来晴夫の財産に増加のないことを予見していたものと即断することはできない。

したがって、被告が原告らのために本件持分譲渡について適法に遺留分減殺請求をしていたとしても、民法一〇三〇条の「損害を加えることを知って」の立証に問題があり、深雪荘の持分を遺留分算定の基礎財産に加えることが確実であったとは認められないというべきである。したがって、原告らの主張(1)は理由がない。

2  争点2(二)について

(一) 原告らは、被告に対し遺留分減殺請求権の行使を委任し、着手金を支払い、資料も授受した以上、専門的資格を有する弁護士である被告が遺留分減殺請求権を行使して、原告らの権利、利益を保護してくれるものと期待を抱き、また前記のとおり、たとえ遺留分減殺請求が訴訟における攻防の結果終局的には認められなかったとしても、原告らはこの点につき裁判を受ける権利、利益を有し、その裁判の結果を検討する機会を確保されるべきであるところ、被告が遺留分減殺請求の手続を怠り、その結果として遺留分減殺請求権が時効消滅し、原告らは遺留分減殺請求が認められるか否かについての裁判を受ける機会、利益を喪失し、その結果を検討する機会をも奪われたのであるから、これにより原告らは一定の精神的損害を受けたものと認められる。

そして、前記二のとおり英子の晴夫の遺産に対する配偶者としての遺留分減殺請求権は被告への委任以前に時効消滅しており、この点について被告に責任はないこと、前記認定事実によれば、被告は委任を受けた後、原告らに対し遺産の内容を具体的に確認するなどの対応すらしなかったこと、原告らは被告の活動により一定の成果(各金一一一七万六九一八円相当の相続分)を得ていること、被告は原告らから着手金として金五〇万円を、報酬として合計金二七一万一五三八円を受領していることなどを総合考慮すると、原告らの被った精神的損害に対する慰謝料の額は、原告らそれぞれについて各金五〇万円と認めるのが相当である。

(二) ところで、原告らは、本件持分譲渡は虚偽表示による無効なものであり、これを被告が主張すべきであったが、これを怠ったことを慰謝料請求の事情として主張する。しかし、前記のとおり、原告らは、平成二年二月二三日付手紙で、本件持分譲渡に関する議事録については反証する資料に欠ける旨自認していた上、遺産分割審判は本件持分譲渡の実体について積極的に判断し、幹子の深雪荘の維持発展についての貢献を認め、その貢献を賄う趣旨であるとしているのであって(乙三)、被告が平成二年当時に虚偽表示の主張をしていたとしても、これが審判、訴訟等において容れられる可能性は少なかったといえ、虚偽表示の主張をしなかったことをもって、慰謝料算定の主要な事情とすることはできない。

他方、被告は、原告協子が昭和四七年ころ本件持分譲渡の事実を認識していたと主張するが、本件全証拠によっても、右事実を認めるに足りない。

(三) なお、前記認定事実、証拠(乙五〇ないし五二)及び弁論の全趣旨によれば、原告らは平成八年五月二九日に内容証明郵便(乙五〇)を発送して被告に損害賠償を求め、被告は右内容証明郵便を受け取っているところ、内容証明郵便は通常であれば遅くとも同月三一日には被告のもとに到達しているから、被告は右同日から遅滞の責任を負うというべきである。

第四結論

よって、原告らの本訴請求は、債務不履行による損害賠償として各金五〇万円及びこれに対する内容証明郵便による請求時以後である平成八年五月三一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからいずれもこれを棄却することとする。

(裁判長裁判官 小磯武男 裁判官 太田晃詳 裁判官 國屋昭子)

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